『逃亡くそたわけ』絲山秋子

逃亡くそたわけ

逃亡くそたわけ

精神病院を抜け出した男女二人の九州縦断ロードノベル。

絲山さんの魅力の正体は、彼女が“九州男児”であるところだと思う。彼女は出身は九州ではなく、仕事の都合で福岡にいただけだし、なにより女性だけど。でも陽性で豪快であけすけな作風は九州男児を連想させる。例えば、この描写。

あたしは黙って車から出て、背の高い草の中にずんずん入っていって、後ろを確認してからジーンズとパンツを下ろしてお尻に突き刺さるとする硬い草をかき分けてしゃがむとおしっこをした。

田舎道でトイレもないんだから女だろうが野ションするのは当たり前なんだけど、なんの衒いもなく自然にこういう文章入れてくるのはすごい。だって、他の女性作家だと本筋と関係ないんだから、トイレ事情の描写は省くだろうし、書くとしても「あえて」であって、なんらかの意図がにじみ出てしまうだろう。こんな絲山さんだからこそ男女二人旅を描いても愛の逃避行にはならずにさばさばした男女の関係が描けたんだと思う。この手のロードものの醍醐味とは関係の有限性、この先、関係が疎遠になることが見えているからこその共有する時間のかけがえのなさ、それに付随する切なさだと考えている。だから、男女が深い関係になって旅の跡に未練を残すようでは台無しである。この作品では、絲山さんの人と人との間を描く巧さとロードノベルという形式がすごくマッチしてて、読んだ後、爽快な気持ちになれました。

「なんしかきょうだいみたいやね」
あたしは言った。
「言葉の違うきょうだいかよ」
「でも、してもよかよ」
「いかんがあ」
「なして?」
「恋人じゃない人としたらいかんて。俺じゃなくとも、誰でもそうだからね」
「うん」
あたしはただ、こんなに幾晩も一緒にいて、男と女なのに一度もさせてあげなかったら可哀想かな、と思っただけだった。でもなごやんはほんとのお兄ちゃんみたいに優しい声でおやすみと言った。

『ロックンロール七部作』古川日出男

ロックンロール七部作

ロックンロール七部作

一人称“あたし”によって七大陸を跨いで語られる20世紀、それはロックンロールの歴史。

要するに『ベルカ、吠えないのか?』のロックンロールバージョン。相変わらずの物語の豊潤な力は健在で、物語そのものが強力な求心力を持って読者を惹きつけている。そして、今作は特に装丁、タイポグラフィーにも力が注がれている。これも小説家は、原稿を書くまでが仕事というこれまでの既成概念を覆し、新時代の小説家は装丁から中のデザインにまでこだわるべきだという古川日出男流のテーゼなのだろう。ただ、苦言を呈するとすれば、紋切り型の会話文。肯定的に捉えれば、古川作品では物語そのものが主役であり、登場人物たちは物語という舞台で運命という脚本に基づいて演じている役者に過ぎないから、台詞も表層的で芝居がかっているということなのかもしれない。実際、登場人物が死んだりする場合、「物語から退場する」という言い回しが用いられている。しかし、例えば、物語文学の最高峰といえるガルシアマルケスの『百年の孤独』では、物語自体のおもしろさもさることながら、人間味溢れる登場人物たちがその魅力を支えている。古川日出男が今後、小説家として次のステップに進むためには、いかに人間を描くかが鍵になってくるだろう。