『ファミリー・ポートレイト』桜庭一樹

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト

これは、虚構的自伝小説いや、妄想的自伝小説と捉えたほうがいいかもしれない。かつては女優でありながら、その後落ちぶれて全国を転々とする母親マコと娘マコとの関係を描いた第一部、母親を失い、刹那的な日常を送りながらも、小説家としてコマコが自立するまでの第二部と二部構成になっている。

短いセンテンスと体言止めを繰り返し、きめ細かい描写よりもテンポとリズムにこだわった文体がまず気になった。いつの間にこんな古川日出男っぽい感じになっちゃったの?同時進行で聖家族を読んでいただけに余計そう感じてしまった。あんまり喜ばしいことではないな。

さて、肝心の内容。序盤の双頭の弟の堕胎や婚姻葬礼付近のマジックリアリズムを意識しつつ日本のフォークロアを前面に出していく手法は非常に良かった。問題は第二部で、冒頭から退廃的な青春の描きかたが紋切り型でトーンダウンの印象が否めない。生き生きと筆が進んでいたように見えた神話の時代の第一部が終わり、第二部が現実世界の始まりを告げると、次第に作者の苦しさが浮き彫りになってくる。これは『赤朽葉家』でも見られた現象で、自己の中に書くべき絶対的な物語を持たないがゆえに虚構で埋め合わせていかなくてはならない現代作家の置かれた危機的状況がそのまま小説の中に反映されている。もちろん、それは同時に、いかなる規範にも拘束されることなく自由に世界を展開できることでもあるのだ。この『ファミリー・ポートレート』という作者の人生は見えてこないが、思想は見えてくる不思議な作品が生み出されたこと自体がそのことを証明している。虚構に侵食されることで実人生がすさんでいくつらさもまた一方ではあるのだが…。

あたしは無口で、自分のほんとうの気持ちは演目にのせて語ることしかできなかったし、真田のほうは物語を必要としてない人、つまりはまともな人間だった。

このあたりに桜庭一樹の小説観が現れている。まともな人間は物語など必要としないのだ。