『水没ピアノ』佐藤友哉

水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫)

水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫)

一言で言えば、痛い小説である。過剰な引用、過剰な会話、過剰な文体。どれを取っても見て取れるのは傷つきやすい自我を覆い隠す過剰な自意識である。そして、それは戦争や貧困などの直接的な恐怖とは異なる現代の徐々に綿が水を含んで重くなっていくような息苦しさ、閉塞感を的確に表現している。これは本人の筆力というよりも、佐藤友哉自身の精神状況がダイレクトに作品に反映しているのだろう。文章から作家自身の葛藤がにじみ出ている。そこに読者は、母性本能をくすぐられるのであり、佐藤友哉の手放しで絶賛は出来ないのだけど、どことなく目を離せない魅力があるのだと思う。

「いっさいの意識は病気なのである」これはドストエフスキー地下室の手記の一節であるが、この作品のテーマはこの一文で表すことができる。社会を拒絶する佐藤友哉が、今後どのように世界と折り合いをつけていくか。他の作品を読んでみたい。