『葉桜の季節に君を想うということ』歌野昌午

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

いきなりネタバレいたしますと前回のハサミ男に続き、これも叙述トリックを用いたミステリーです。ハサミ男にしろこれにしろ、基本的に話し言葉によって読者のミスリーディングが誘われている。これは、私たちは文章上において、性別や年齢に相応しい話し方というものを、勝手に作り上げているからこそできる。例えば、「そうかしら」という台詞から連想されるのは、落ち着いて聡明な女性。「そうなのかのう」はお年を召した男性の老人。こういう話し方をする人は、こんな特徴を兼ね備えた人ですよという読者に共有された前提となるお約束である。現実世界においては、方言による地域的差異はあっても、年齢や性別における話し言葉の違いはあまりない。一方、小説は、現実世界で人を識別するポイントとなる声質や話し方のテンポ、抑揚を表現できないから、人物の書き分けの必要上、先に挙げたような実際の社会ではあまり聞かないような記号的な話し方が必要とされる。この作品は、その小説内の話し言葉の記号性に着目し、うまいこと利用できている。ただ、その記号性をあえて無視することで叙述トリックを成立させているんだけど、ミスリーディングを誘おうという気持ちが強すぎて、返って話し言葉の記号性に囚われて、会話がちょっと不自然かなって気もする。特に、主人公の妹のしゃべり方が露骨過ぎて違和感が…。こう思ってしまう僕も知らず知らず話し言葉の記号性に毒されてしまっているんだろうか。