『神様のいない日本シリーズ』田中慎弥

文学界 2008年 10月号 [雑誌]

文学界 2008年 10月号 [雑誌]

自分のこれまでの人生を淡々と扉越しに父親が息子に語り続けるお話。

これはすごいよかった。こんなに読みやすい作家だったっけ。

語り手の父親は、中学生のときに後の妻となる女の子と文化祭で『ゴトーを待ちながら』という戯曲を上演することとなる。この二人の関係が微笑ましくて、ほれている男のほうが、やけに辛らつな物言いで女の子に食って掛かるあたりはすごいリアリティーがある。たしかに現実世界では、この年頃だとだいたいツンデレなのは男のほうだよね。

「うまくゆくと思う?」と母さんに訊かれ、父さんは少し考えてから、
「思わない。やっぱり俺たちがやるには難し過ぎる。難しいことは、難しいと思いながらやるしかない。」

上演直前なんだから嘘でもそこは一言うんといえばいいのに、正論言っちゃうところがたまらなくいい。

そして、息子の録画したビデオに写っていたレッドソックスのエース、ベケットとゴドーの作者ベケットさらに、神様が舞い降りて奇跡の起きた86年日本シリーズとその年に上演した神様のやってこない『ゴドーを待ちながら』、祖父が野球を捨てる契機となった豚殺しを行った58年に起きた最初の日本シリーズの奇跡の大逆転と86年日本シリーズ。野球を軸としながら、三世代の人生を結びついていくさまは感動的で、さすがの筆力である。

しかし、この作品のなんといっても恐ろしいところは、息子が最後まで部屋から出てこないところだ。つまり、果たして本当に息子は存在しているのかは明らかにされていない。実は息子なんかいなくてすべては父親の勝手な妄想かもしれない。そもそもまったく父親に対する好意が見られない女の子と結婚できたというところから怪しい。感動作から一転、なんとも気持ち悪い小説にもなりうるしかけが田中慎弥らしいといえばらしい。