『死者の奢り・飼育』大江健三郎

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

第39回芥川賞受賞作「飼育」を含む初期の6短編収録。

二十歳そこそこのろくに人生経験も積んでいない学生が、この異常な完成度を誇る作品群を次々と発表していった当時の文壇の衝撃は相当なものだっただろう。小説家を志す同世代の若者を絶望させたであろうし、一線で活躍していた作家たちは脅威を感じたに違いない。それほどの破壊力を秘めている作品群である。

大江健三郎の特徴のひとつとして驚異的な想像力が挙げられる。大江自身は死体処理のアルバイトをしたことも黒人兵を村ぐるみで監禁したことも脱走兵を匿ったことも脊椎カリエス患者の診療所に入院していたことも無いだろうけど、小説内でのその描写は細部に至るまで行き届き、驚くほどリアリティーがある。ともすれば私小説を読んでいるような錯覚を受ける。「死者の奢り」には死体処理のアルバイトなるものが出てくるがそもそもそんなものなど存在しないらしい。巷間に広まる死体洗いのアルバイトの都市伝説は「死者の奢り」が発端との説もあるようである。実際にあると思わせるほどの完璧な嘘が書けるというところが大江健三郎の凄さだと思う。

生者と死者。支配者と被支配者。傍観者と被害者。そして強者と弱者。同じ人間の間を隔てる見えない壁の存在を大江健三郎は描く。人は他人のことを分かっているつもりでも実際は、あくまで安全圏からの理解であり決して壁を乗り越えて行きはしない。人間への嫌悪と失望が前編からあふれ出ており、この閉塞感、希望の見えない文学観は個人的には好きである。