『ボトルネック』米澤穂信

ボトルネック

ボトルネック

僕は二十歳の峠を越してしまったから、一定の距離をもってこの作品の主人公を眺めることができるし、時間がすべてをなあなあに解決してしまうことも知っている。ただ、中学、高校のころの僕はそんな余裕などなくて、訳もなく悲しくなって死ぬことばかり考えたり、何にもなれない自分という存在にとことん失望して自暴自棄に陥ったりしていた。なんか無闇やたらに傷ついてばかりいたなーと思う。だからこそ、この作品に立ち込める窒息しそうな空気が痛いほど理解できた。思春期は人生で一番大切な時期だけど、一番不必要でもある。この時期に思い余って死という強硬手段を選んでしまう子も多いけど、思春期をパスして早く大人に避難できていれば死なずにすんだかもしれない。あの当時思い悩んでいたことも今振り返るとほぼ全部笑い話で済んでしまったりするのだから。

この作品に描かれているように思春期にはたしかに自分をボトルネック(不要な部分)と思わせる作用があって、それが何かといったら、絶望で、そして絶望の前提条件として希望がある。希望の反動としての絶望。だとしたら、僕が今傷つかずに済むのは、ある種の諦観によるものであって、人生とも社会とも将来とも手打ちをしてしまったからだ。もう決して戻りたくないとはいえ、傷つくことを厭わず希望を希求していたあのころの自分に一抹の羨ましさも覚えてしまう。