『ネコソギラジカル』西尾維新

ネコソギラジカル (上) 十三階段 (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル (上) 十三階段 (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

というわけで戯言シリーズ最終章。

なんだろう、この釈然としないかんじは。1000ページ以上の紙数が費やされながら、どうでもいいことのみが引き伸ばされ、物語を突き動かしてきた核心の部分がちっとも解明されていない。いーちゃんたちの行動原理になっていたものは、いーちゃんと玖渚の過去であり、過去といかに対峙し、嚥下して今を生きていくかがこの一連の物語の最終的なテーマであったと思う。そう考えるとこの物語は二人のビルドゥングスロマンあるいはラブストーリーと読める。少なくとも、僕はそのつもりで読んだ。だとすると、二人の過去とくに玖渚の過去のいきさつはもっと踏み込まないと。そこが適当だから、なんのためにこんなにも人が死にまくる戦いを繰り広げているのかさっぱり分からなかった。この設定を言及しすぎずにぼやかしてお茶を濁す手法は、後々いきずまった時に物語を引き伸ばせるようにするためで、少年漫画誌でよく見られる。バトルへの傾斜と合わせて戯言シリーズは、つくづくジャンプに代表される少年漫画と同じ病理をかかえているなぁと感じた。バトルなんかは話のつまでしかなくて本質は二人の歩んできた歴史であった。その過去が語られない、それは問題をなかったことにして、見て見ぬ振りをして今と妥協してしまうということである。そんな結末にしか持っていけなかったところに、西尾維新の力不足というか弱さを見てしまった。全体の構造であったり、世界観はすごい良かったんだけどな。なにはともあれ一般小説の二軍でしかなかったライトノベルに、一陣の風を吹き込んだ革新的なシリーズであったと思います。